御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

インターネット徘徊老人


今日も漫画を進めました。女の子がやっと出てきたので、少女漫画らしくなってきた。


妹が買ってくれたバターサンドです。


パンミミー

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つい30年くらい前まで、自室にいるときは本当の一人きりだった。それが今は、気が向いたときに世界中の人間の言動を見ることができて、世の中の、自分とは関わりのない出来事や感情に、簡単に触れることができる。
良いところ、便利なところは沢山あるが、僕はそれがずっと怖い。

沢山の人がいる中でより孤独が深まる感じがする。
知らねば、見ねばという焦りがつきまとう。
自分の中に大量の世間というものが侵食してきて、僕の脳みそがどんどん損なわれていくような気がする。

僕は世間との付き合い方を今一度考え直すことにした。

例えば30年前、家に帰ると、友達だの同僚だの、とにかく他人と会話をするのは、よっぽど仲が良かったり必要で電話でもしなければ、次に姿を見て、会話をするのははやくて翌日だった。調べ物があれば、翌日図書館や本屋にでも行くほかなかった。
それが今は指先一つで他人と気軽に連絡を取り合い、知らない人の動きを見ることができ、無料で沢山の情報がすぐに手に入る。
いいことなのかもしれないが、“身に余る”感じがするのだ。
膨大な情報、感情に振り回され、己の精神の本質がどんどん薄く、広がっていく気がする。
そもそも人生とは、己の精神を社会に向けて解体して行き、広く薄くなっていくことだと、僕は感じている。ただ、そのスピードや、程度が、とんでもないことになっている感じがする。

他人ではなく、己にきちんと向き合い、僕は僕の大切な脳みそをとことん大切にしていきたい。