御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

美とは?

ポストカードを並べる什器に使用するワイヤーネットを探して100円ショップに行ったのですが、色がちょっと納得行かず、また後日別の100円ショップへ行くことにしました。

敷布とか品物入れる袋とか、ちょっとずつ買っていますが、そういうのにあまり頭が回らないのでちょっと疲れてきました。

 

 

美醜に拘泥することは卑俗で愚かな執着なのかもしれないけれど、僕はやっぱり「綺麗」なものが好きで、それに自分が当てはまらないことがどうしょうもなく悲しいです。

人からは馬鹿にされたり、顔のことばかり考えているのはおかしいと思われたりするかもしれませんが、そもそもどうして容姿のことに執着することは、愚かなことだと言われるんでしょうね。

「顔より心だよ」といったような言葉も度々聞きますが、僕はどちらも大切だと思います。

 

 

実朝。

また、悲しい目にあってましたね。ただ悲しむだけで怒ったり捻くれたりしないところが、また悲しい。頼家みたいに暴れてくれていたほうがまだ見ていられます。

船の件は和田さんとはまた別のベクトルで辛かった。自分もものを作ることが多いので、余計感情移入してしまいました。また、役者さんの悲痛な表情がうますぎるんですよね。

邪気のない、だた心の底から悲しい顔がうまくて、見てるほうまで悲しくなってくる。

 

八田殿は船を作り上げるまで隠居できないですね。

 

太宰治の「右大臣実朝」を読んでいます。最後は、結局悲しいことになるのは変わらないと思うのですが、鎌倉殿より大分義時との関係が穏やかで、和みます(笑)

 

「お心の優れたお方のお顔には、少しばかりの傷が出来ても、その為にかへつてお顔が美しくなる事こそあれ、醜くなるなどといふ事は絶対に無いものだ」

これは右大臣実朝の一文なのですが、鎌倉殿の実朝を見ていても同じような感じがします。顔が元から美形という前提がありますが、疱瘡の跡があるのが、なんだか余計に美しく見えるな、と思っていたので。

実朝の、ふわふわした邪気のない穏やかな、ある種の幻想的な美しさのある人物といったイメージは、ずっと昔からあるものなんですかね?

 

 

学怖の風間さん。

全然風間さんとは関係ないんですが、今デザフェスのために釣り銭を集めていて、500円がなかなか集まらず苦戦しています。風間さん、集めた500円を両替してくれませんかね。

でもこいつ手数料取りそうなんだよな。