御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

人間とは

ひなあられが好きなのでひなあらればかり食べています。

スーパーとか100円ショップ等で売っているような、安いひなあられが一番好きです。無限に食べられる気がする。

 

 

自分自身の欲深さ、もっとこうしたい、こうなりたい、あれがほしい、あれが見たいというような無数の欲求に、たまに自分で耐えられなくなります。

欲があることが悪いこととは思わないし、それが自身の進歩に繋がるとも言えるけれど、今、命の危険がなく家があって温かいところで寝ていて家族が健康であるという時点で幸せなのに、次々と欲しいものは生まれてくるんですね。結局、どんなに幸せでも満足はしないのかもしれません。

そう思うと、自分という存在がとても醜く感じます。

何も「考えない」、「何も無い」状態に強い憧れがあるのですが、生きている限りは無理ですね。どうしても肉体が残ってしまうので。

 

 

命を「拾う」とか、「落とす」という表現がありますが、命は落ちたらどうなるんでしょうか。そのまま沈んでしまうのか。

死者に対して「浮かばれる」という表現もありますが、命は落ちて魂は浮かばれるとすれば、霊魂と「命」というものはまた別のものなんですかね。最初にこれらの表現をした人は、どういう気持ちだったんだろうか。そもそも、命って何なんだろう。

死んでる人と生きている人は何が違うのかを考えていると、そのまま一日が終わるくらいに考え込んでしまいます。

これと同じようなことですが、例えば人間を構成する物質を集めても、それだけでは人間とは言えないし、それが人間になることもないということが、たまに不思議です。逆に、人間を分解したとして、それは人間と呼べるのでしょうか。

こうして、今僕は色々なことを考えていますが、それも僕が死んだら途切れて無くなるのだろうから、それも不思議なことです。

 

こういう話を、昔人にしていたこともあったのですが、大抵の人が半笑いで困っていたことを思い出しました。

本当に心底考えていることや、主張をそのまま人に話してしまうと、困らせてしまうんですよね。だからあまり会話が好きではないし、何を話したら良いのか分からなかったり、言葉が浮かばないことが多いのかもしれません。

 

「変」とか「変わってるね」と言われて、嬉しい人っているんでしょうか。僕はずっと嫌でしたし、今も言われると嫌です。

 

 

美幼女たち。

最初、モモチは頭巾があるので服選びが難しいなと思っていたのですが、結局かわいいからかわいい服なんでも似合っちゃいますね。