御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

悲しい

11/17

月。きれいで優しくて切ない。

 

久しぶりに出社したら、強盗による影響はやや収まりつつあったものの、また年末年始に世相が荒れるのではないかという恐れを抱いています。

年末年始、人の心が不安定になるのはなぜなのだろう。僕はその縮小版みたいな、月末にも似たような不安定さを感じる。

 

いくら頑張っても、もとの骨格というのは変えることができないし、顔も土台は変わらないから、せめてできることはしたくて運動をやり続けている。

絵も、身体的なことも、自分でできる限りは頑張りたい。

美しくありたいし、美しいものが似合う存在でありたいし、美しいものを生み出したい。

でも今日は顔が汚かった。

 

(昔、髪の毛を長く伸ばしていてスカートを日常的にはけていたとき、19歳頃のことなんだけど、色々と「女性の装い」をしていることで嫌な思いをしたり、「女性」として見られることの違和感とか、僕自身が「女性」としての自認をうまくできない(「女性として」ではなく、僕はただ美しいものや可愛いものを愛していた)とか、そういうものもあったけど、「顔や体が納得出来ないからやめた」という面もある。世間的には、装いは本人のしたいように…と言われており、僕もそりゃそうと思うし人が好きな装いで生きているのを見るのは好きだし可愛いと思うけど、自分のなかで、合格が出せないから仕方がなかった。

 

そんなこんなで基本的には男性の衣類しか着られなくなってしまい、靴下とか、靴も女の人のものを未だに避けてしまうようになって、比較的華美な服をまた着るようになってきた今も日常的には目立たないジャージとか、そういうのばかりで、スカートも未だに履けない。

 

しかし、人と出かけるときもジャージのような服でしか歩けなかった頃、知人が寄りたいというのでDiorへ行ったとき、僕は用がないので端で待っていた。それを知人が「連れがいる」旨を店舗スタッフへ伝えたようで、店舗スタッフに「あれ」呼ばわりされたことをその知人伝いに聞いて、そういう身なりに気を遣っていないと思われるがゆえの「馬鹿にされ方」もあるのだなと感じることも多々あった。店舗スタッフも、言葉を知らないにしても失礼だけど、それを笑いながら伝えてきた知人に結構ショックを受けた。

(暗そうな男のような風貌でいると、派手だったり強気な女の人が、こちらを見下し馬鹿にしながら寄ってくるという現象が発生することが、割とある。優しくしてくれたり色々してくれたりもするが、基本的に「下」としての扱いなのだ。それでも女によってきてほしいと思う男性は、暗く弱そうな男の風貌でいるといいかもしれないです。)

 

僕はゲランのファンデーションが廃盤になってから、ずっとDiorのファンデーションを使用しているけど、その事があったから一度も店舗に行ったことはない。

というか、僕は基本的に、実店舗で服を試着して買ったり、コスメカウンターで化粧品を買ったりということができない。鏡を見た瞬間に買う気が失せる。だから買い物に失敗が多い。なんだか、まとまらない文章ではあるが、汗だくになって走りながら嫌なことばかり思い出してしまった。何をやっても無駄な気がしてくる。)

 

(あと、ジャージが悪いみたいな書き方になったかもしれないけど、ジャージの可愛さも僕はちゃんと知ってる。自分基準でかわいいジャージを選んでいる)

 

明日からまた、頑張っていこうと思います。