御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

すごいねむい

Twitter等の、他人が大量に流れ込んでくる感じのSNSを見ることに無意味に時間を使うなら、アニメ等を見たほうが絶対いいんだろうな…と思い、通勤時などにも見れるようにAmazonプライムからアニメをダウンロードしました。

今は「おにいさまへ」を見てます。

漫画は全部読んだけど、ストーリーが違うとのことで楽しみです。話の都合だと思いますが細かいシーンに違いがあったりして面白い。

シナリオ担当の一人が朝倉千筆(朝倉泉のお母さん)がというのも楽しみのうちの一つです。

(モナリザの君は安達忍が声優なんですね。安達忍大好き。)

 

ベルばらのアニメも見れるみたい。漫画は高校生のころ一回だけ読んで、当時は号泣したのですがいかんせん一度読んだだけなので全く記憶にないです。また号泣するのかと思うと尻込みしますがもう一度読みたいし、アニメも見ておきたい。

因みにおにいさまへの漫画を読んだときも、号泣しました。鼻水とか出るタイプの呼吸苦しめの号泣でした。アニメも、あんま外で見ないでおいたほうがいいのかな。

 

 

2000年代初め頃のオタクのドキュメンタリー等が好きでよく作業中に流しているのですが、「自分だけで打ち込む姿勢」が強くて元気になる。

昔のホームページとかもそうなのですが、お金になるかとか、多くの人から承認されるかとかよりも、「自分がやりたいから」という理由でとことんやりこんでいるものって、やっぱりいつまでも残るし魅力的だなと思います。

(なのでたまにいるマイナーであろうキャラやジャンルで10年以上一人で創作を続けている人とかも大好き)

 

昨日見た知らない人のツイートはろくに思い出せないのに、15年以上前に読んだ知らない人の個人サイトの小説なんかは未だに思い出します。

朝倉泉についてものすごく詳しく書かれたホームページ、おそらく知ってる人も多いとは思いますが、あれも過去の新聞や雑誌、現地の様子まで自分の足で探して、見てきている、凄まじい熱量のホームページなんですよね。

瞬間的に流れていくものより、誰か一人だけでも、「こんなものがあったんだ」と感動できて、何十年経っても思い出してくれるようなコンテンツを作りたい。

自分の作るものに対して、一人でずっと作っていると、「こんなもの作っても誰も見ない(そんなことはないのに)」みたいな孤独感や無力感に襲われることもありますが、でも創作の基本というか根底というものは、誰にどう見られるかではなく、自分が何をしたいのかなのだと思います。

たとえば誰一人として見ている人が居なかったとして、それで描くことをやめるのかといえば、そんなことはないので、ひたすらにその時の全力を尽くしていくことが第一前提であると、改めて思いました。

 

 

新しいハニワイベント可愛いから頑張りたい。パンダに囲まれているモモチが見たい。

いつかウサギさんのハニワイベントとかやってくれないかな。かわいいものでモモチをかこみたい。

 

 

昨日今日とTwitterを自分が投稿する一瞬を除き見ないで過ごしてみたのですが、それでもやることは山程ありました。

やはりSNSをしている時間の余裕は人生にはないし、時間を決めずにダラダラと無限に見てしまう状況は良くない。1時間無意味にインターネットを徘徊するくらいなら、寝たほうが自分のためになる。

 

 

部屋が汚すぎて気が狂いそうになった。

ずっとほったらかしてて散らかっていて、それで今まで何も気にせず過ごしていたのに、何かの拍子に急激に発狂しそうになるのはなぜなのだろうか。