御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

展示おわった

展示は無事終わりました。

あとは郵送した作品が届いたら、本当に全て完了です。

会いたかった人たちにも会え、天気は荒れ狂っていましたが平和に終わることができました。

ただ、自身の人見知りが激しすぎたがために話しかけてくれた人にあまり良くない態度を取ってしまい、罪悪感が残ります。どうにかしたいんですけど、どうにもならないんですよね。あまり知らない人に話しかけられると、声が全然出なくなってしまうんです。目も怖くて合わせられないし。

内弁慶気質なので特定よ仲の良い人とはものすごく喋るんですけど、それを万人にやるというのは、無理です。

全然知らない人とかと沢山喋れる人と自分は、何がどう違うんでしょうか。同じパーツで構成されている筈なのに。

 

悩んでいた次回の展示は、本日応募要項を頂いた夏の細密展にしようかなと思います。ちょっとゆっくり作品を仕上げたかったのと、やはり自身の作品に一番合うテーマだと思うので。紛うことなき「細密」だもんでね…。

 

 

日展示を見に来てくれたお友達と食べました。ご飯に誘うの、なんか嫌って思われたらどうしよと思ってたんですけど、快く来てくれた上に僕が嫌いな野菜も食べてくれました。

香港麺って素麺みたいで美味しいんだよね。基本的に麺類好きなんですけど、素麺大好き。

おやつくれました。

皆さんから頂いたお菓子で全てのおやつを過ごしている気がします。ありがたい。

深夜なのにちょっと金平糖食べちゃったんですけど、美味かった。

 

 

ジャンケン待ちのモモチ、かわいい。

真剣勝負の顔ですね。

 

この看板、オクタロウだよね。かわいいな。裏面は1ごうでした。奇しくもどちらもこのキャンプ場の古参です。

 

絵になるゲンジ。

ゲンジは大人っぽい見た目なのに、中身はモモチと同じなのが、良い。笑った顔はわんぱくそうなんだよね。

 

このベッドで寝ているモモチが見たくてレイアウト丸無視で設置。かわいい。

モモチは確信をついている。

モモチが回復しているところを、見ることができて自分は幸せであります。

 

 

前に叱られたとき、「その行動を注意しているだけで人間性とかを否定しているわけでもだめなやつだと言っているわけでもない」と言われたのですが、言われている側としては自分の脳みそから出てきた言動で叱られることは、積み重なるとやはり自分自身の否定と感じるのは、仕方ないことだと思います。

できないことが多い人は、やっぱり他人から色々言われますよね。どうしてできないとかやらないだけだとか、それを自身の否定と取らなくていいという人は、ではどう取れば良いと言うのでしょうか。自分自身の全ての行動は、自分自身によって行われているというのに。

 

自分は、成績も良くないし学校での評価というものも、高くないし、運動もできないし、とにかくあらゆる評価が低く、注意というか、自分では普通のつもりのことが他人からしたら「足りない」ことが多くて、色々言われてきました。

それはやっぱり、僕自体が他人から見たら「ダメなやつ」だからだと思うんですよね。その事実を、自分の罪悪感とか気づかいで否定しても、変わらないです。ならお前は能力が低いからこういう風にするといいと教えてくれたほうがよほどありがたいです。

「どうしてできないの?」ということをよく言われてきましたが、それがわからないのでできないんですよね。

 

みんなそんなに、いつも全力で頑張って普通でいるんですか?僻みとかでは無く純粋に、疑問です。