御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

四月は死



四月が終わっちゃいますね。
心身ともに具合の悪い日が多かった。

お父さんが通風で足がものすごく痛むらしく、ずっと痛がってて可哀想だった。
お母さんにドーナツを作るようにせがんでいました。通風って、甘いもの食べていいんだっけ。
前に、バイト先にも通風の人がいて、それを理由に甘いものは断っていたような気がするので気になった。

ドーナツ天使、パーパミ丸。


今日もちょこちょこ漫画を進めた。

ネームのときにはとてもワクワクしていたけれど、実際原稿用紙に描いてみると思い通りにならないことばかりで、めげそう。

でも、「こんなはずじゃなかったのにな」と思えることが大切な気がする。前にも書いたと思うけど、ぼくはかなりの年月を担当さんとふたりきりでネームを作ってはボツにすることに費やした。
それで得るものがなかったとは言わないけれど、流石に長いこと同じことをやりすぎた。
その間原稿に入ることは1回もなくて、何がだめなのかとか、自分のレベルだとかを客観視することができなかった。
やっぱり実際作ってみて、発表して客観的に見て、それではじめて気づけることは多いと思う。
担当さんが付く前にすでに沢山漫画を描いていた人なら話はまた違うのかもしれないけれど、ぼくは完成した作品が2個しかないうちに微妙なラインの賞をとり、そこからずっとネームばかりしていた。例えば料理とかで、レシピばっか考えて実際に作ったことはほぼない、みたいな感じ。それで料理人と言えるかって考えたら、無理だよね。
なんでもそうだけど、特に絵とか漫画って、ラフやネームの時はなんとなく自分で都合よく補完してしまって、欠点がぼやかされるんだな。
だから絶対完成原稿を増やすことに全力になったほうがいいんだけど、僕には人とやり取りしながら片手間で自分だけで作る作品も書いて…みたいなことは難しかった。

それでコンペのネームを作っていたとき、「もう新人賞に出すような作品を考えているわけではないんですよ」というようなことを言われ、確かにそうなんだけど、ぼくには圧倒的に経験値がなかった。自分のなにがだめなのか、どう話を組み立てたらいいのか、どう見せたらいいのか、何も分からなかった。受賞作でもほぼ感覚で描いたので、あれが通過するとも思ってなかったし、ほんとに何も考えてなかったしどう考えたらいいのかも分からなかった。

今本当にめげそうなんだけど、とりあえず今回は完成させることに意味があるし「ここが良くない」「もっとこうしたかった」と思えること、とても苦しいけど大切なことだと思う。


そして学怖も進めてます。


また風間望に占ってもらっていた。
勉強しなさいよと、窘められました。風間さんはちゃらんぽらんに見えて、結構ちゃんとするところはする人なんだろうな。
本当は今は岩下さんの話を聞いているんですが、岩下さんが怖すぎて、合間合間で風間さんに戻ってます。なんとか穏便にことを進めたいけれど、分岐は全部見たい。
今日は、年上の女を否定したがために、殺された。