今日は手を休ませるためにポストカードの印刷やデータの作成等を行っていました。
色んな絵を整理したりもしていたのですが、18歳から21歳ごろの絵を久しぶりに見つけて、なんだかやる気が湧きました。
今よりずっと時間があって、本当に時間をかけて描いていたのもありますが、今より色々丁寧な感じがします。
今は色々と焦ってしまうことが多いので、もう少しゆっくり、集中していきたいです。
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携帯で安易に発信ができるようになる前、自分にとってそれは高校生の、Twitterが出てくる前の話なのですが、自分はどう過ごしていたのかと考えると、今よりもっと目の前のことに集中できていた気がするんです。
元から気がそれやすかったり、落ち着きがなかったり、やらなきゃいけないことほど先延ばして行動できない、といったところはありましたが、それでも今より自分に向き合う時間が長かったし、短絡的に発信しない分、物事をもっとよく考えていたような気がします。
僕は中学生のころからブログをやっていたり、小説サイトに登録していたりホームページを作ったりしていたので、何かを気軽に発信する、ということはずっとやっていたのですが、Twitterとかインスタグラムのように色んな人の色んな言葉や情報が一気に流れ込んでくることはなかったし、掲示板とかコメントなんかで多少人とやり取りはしていましたが、それでもなんというか、あくまで「自分が出かけて話しかける」「自分の家に来てくれたお客さんと話す」ような感じで、今より「閉じられた」状況でした。
ブログだのホームページだのは、感覚的には「家」なのですが、Twitterやインスタグラムは「街中」のように思えます。
そういうものも楽しいのですが、日常的に浸りすぎるのは自分にとっては良くないんだろうなと思います。
昔からひたすら小説サイトに載せる小説やブログの文章を書き続けていたり、2ちゃんねるのスレッドを1から1000まで読み込んでいたり、携帯を見ている時間が長い方ではあったのですが、短絡的にポンポン発言しているよりは、まだ過去の自分の生活の方が「良い」と思えます。
僕は元から頭がの中に常に色んなことが散らばってるような感じで、部屋も汚いのですが頭の中もごちゃごちゃなんです。なので、Twitterみたいな思いつきと衝動でどんどん投稿できてしまう上に体力的な消耗もないようなツールは、やりすぎてしまうんでしょうね。
頭も体も使ってないので、無尽蔵にできてしまいます。
毎日僕のツイートをいいねしてくれている人が居て、その人のお陰でその日のツイート数が分かるのですが、多い日だと30個くらいあるんです。また、どんどん色々なツイートが流れてくるので、暇さえあれば見てしまうし、一度見出すと色々なことが気になって、どんどん時間をつかってしまいます。
そういうのも息抜きの一つとして良いことだとは思いますが、僕の場合は度が過ぎていて、自分でも「時間がもったいないな」と思っていたり、人が沢山居るからこそ、自分の存在がすごく希薄に思えて不安になることも多く、僕にとっては良くないんだろうと判断しました。
「Twitterやインスタグラムはスロットと同じようなもの。タップやスクロールでどんどん新しい情報が出てきて、その快楽で繰り返し見てしまう」ということを言っていた人がいましたが、まさにその通りだと思います。
一旦落ち着いて、自分の中で消化する、目の前のことに静かに向き合う癖をつけていきたいです。
上記で、高校生の頃からTwitterを始めたと書きましたが、僕の携帯にはフィルターがかかっていたので、基本的にはパソコンからの投稿でした。携帯からもフィルターをすり抜けられる方法で見ることもできたのですが、とにかく見づらかったので、他人のツイートを読んだり気になることを検索したりなんかは、パソコンを開いたときにまとめてやっていました。
パソコンは居間にあったので、ずっと使い続けることはできないし、もちろん外出先に持ち込むこともできないです。
自分のブログにまでフィルターがかかっていて、ブログに関してはメール投稿で、コメントのチェックとか、そういうのもパソコンでやっていました。
それくらいで良かったんだと思います。
フィルターのかかっていない他人のサイトや小説を見たりもしていたけど、今は目に入る他人や、世界が多すぎる気がします。
手が開いているときにSNSを見てしまうのが習慣のようになっていて、意味もなく見ていることが多くてまるで徘徊のようなので、利用時間を制限しました。
とりあえずTwitterは1時間、インスタは30分にしてみました。
何か必要なことを投稿して、程よくみんなの投稿も見るくらいの時間はあると思うので、無理のない設定だと思います。
因みに今日Twitterに使った時間は3時間30分だそうです。一日は24時間しかないのに。