絵が完成しました。
【夜は透明】
身体の境は消え、穏やかに精神が流れ出す。
誰もおらず、ただ一人。
他者の侵食から逃れ得る、果てしなく悲しく、優しい3時、静謐。
【語る抽象画展】という展示に参加します。自身は小作のみの展示となりますが、グループ展のため沢山の作家の作品を見ることができます。また、参加者の一人である【中井りえ】は僕の友人です。
お暇がありましたら是非お越しください。
自分は在廊等はしないので参加しませんが、2/4には作家と来場者で話ができる交流会も行われます。また、期間中はホームページ内でも作品の販売が行われるとのことです。
◆開催期間 2023年1月31日(火)~2月5日(日) 6日間開催
◆開催時間 11:00-19:00(最終日は16:00 まで)
◆会場 東京都新宿区大京町12-9 2階 アートコンプレックスセンター
◆ホームページ http://www.gallerycomplex.com/c/abstract14/
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額のサイズがちょっとイマイチな気がします。ずっと見てると「まあこれでもいいのか?」と思えてくるのですが、なんというか余白が多すぎて絵がぱっと見えないというか。同じサイズの別の絵はこの比率で良かったんですけどね。同じ額縁の、一回り小さいものを購入したので届いたら入れ替えてみます。もしかしたらマットももっと薄い色に変えたほうがいいのかもしれません。
それはそうと完成した直後は全力を尽くして満足していても、ちょっと経つと落ち込む時間がやってくるのは何故なのでしょうか。でも、実際展示したり、次の日見るとよく見えてきたりするんですよね。不思議です。
抽象画展までにあと一作作りたい気持ちですが、間に合うかどうか、また、納得行くものができるかどうか分からないです。
次の漫画はシリアス寄りでしたが、絵画はどちらかというと心の深くに行ってしまって、落ち込んでくることが多いので、この前描いた「友達できるかナ!?」の別の
短い話でも描こうかな。
なんか、描いててあんまり落ち込まないものが描きたいです。
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本日、1月14日は朝倉泉の命日です。
昨年、1月14日も朝倉泉について書こうと思いましたが、結局やめてしまいました。記憶が定かではないのですが、7月19日にも書いていないとすればこのブログで朝倉泉について触れるのは初めてだと思います。でもなにかしらのタイミングで、話しているかな?
朝倉泉とは1979年1月14日に祖母を殺害し自殺した16歳の学生です。小説のような遺書を書き遺していたことで知られていますが、その後シナリオライターであった母親が手記を出したこと、本多勝一が書籍「子どもたちの復讐」にて取り上げたことで、今尚記憶に残る人は多いのではないでしょうか。
下記は、朝倉泉が中学生の頃にノートに綴った詩です。
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世田谷区の住民が一人残らず眠っている数秒間が 二十年に一度ある。
世田谷区で 起きている人は一人もいない。
人も通らない。
道路には 車が一台もいない。
その薄暗い道を、
人っ子一人通らぬ夜の道を、
靴音高く 走り抜ける男がいた。
笑い声を高らかに上げながら。
彼は この二十年間 このわずか数秒を じっと待ち続けていたのだ。
男が消えた。
誰かが 目を覚ましたのだ。
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自分がこの詩をはじめて見たのは、朝倉泉が命を断った年齢とそう変わらない頃でした。
「誰もが眠る夜にだけ、やっと自分を開放できる」感覚が、自分の感覚と深くリンクしたことを覚えています。その感覚が、今回の絵を描くに至った心情の根源のような気もします。
朝倉泉は、怒りや暴力性が全て自分の中に向かっていくというか、発散が下手なタイプだったのかな、と思います。
(余談ですが、同族のように扱っていた佐藤健一とは真逆で、他人を殴ったり暴れたりは出来ないタイプだったのだと思います。自分にできないことをやって暴れ回った佐藤健一に対する憧れがあったのではないでしょうか)
そして、現代より自己表現、顕示等、自分を他人に見てもらうことがずっと難しく、自分の中に溜め込んで煮詰まりやすい時代であったと思います。そんな時代に、一人の学生が部屋で書いた詩や遺書は、本来なら人目に触れるものではありません。
それを数十年後に僕が見ることができた、それはとても悲しいことですが、僕は朝倉泉を一生忘れずにいようと思います。
偶然ですが、1月14日に本作【夜は透明】が完成したことが、嬉しいです。
1月14日に捧げる動画。