御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

2日間堕落

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世界の嫌なところばかりがクロースアップされて見えるとき、それは多分自分の心が悪いのだろう。

 

今日は、比較的よく体を動かせましたが、まだ足りない。

どのようなことでも、己に不足を感じるのであれば、それはもうやり続けるしかない。為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、という言葉は、本当にそうだなと思います。

「まだ本気を出してないだけ」みたいなことではなく、自分が一番「もっとできたはずだ」と後悔するようなことを、できるだけなくしていきたいです。

どうあがいてもできないことというのは、人間なのであると思いますが、それと「手を抜いて何もしない」ことは違う。

 

 

SNSをしていると、基本的に世の中の人は自分に興味がないということを忘れてしまいそうになる。

SNSをやっていて生まれる苦しみというのは、その当たり前のことが見えなくなることによるものでもあるのかなと思います。

「不足」を短絡的に解消しようとすると、泥沼に嵌まるのだと思う。

自分が衝動的に買い物をしてしまうのも、結局はそこなんだと思います。自身の「足りなさ」を補填しようとしている節が大きいのですが、それで自身の本当に望むものが手に入ることはないんですよね。

やるべきことは見えているし、やるしかないのだけれど、でも長期戦だし、無理かもしれないから、そういう不安から短絡的な行動に走るんです。

自分にいま一番必要なのは、己を律する心です。これは買うことはできないし、SNSをやっていても身につくものではない、一番手に入れるのが難しいものだと思う。

 

 

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描きたい絵がいまいち描けない。

ずーっと齧りついてると吐きそうになってくるから、一旦離れたほうがいいんだけど、でも気になっちゃう。

すごく若い人で、漫画の絵がすっごく上手い人って、この世の中に大量にいるけど、そういう人と自分の脳の造りの差を、本気で考えてしまう。卑屈になってるわけじゃなくて、ほんとに純粋に差が気になる。

この世の中の人間すべて、得意なことと不得意な事があると思うのですが、素材としてはみんな同じものでできているはずなのに、不思議ですよね。性格とか好みに関しても同じことを思います。

 

 

汎ゆるものが「駄目」になったとき、僕は音楽も人の声が入ったものはあんまり聞きたくなくなって、クラシックなどを聴いているのですが、僕が現代的なコンテンツを遠ざけて過去に遡りがちなのは、それがもうムーブメントの熱狂から遠ざかったものだからなのだと思います。

「みんなが見ている」とか「流行だから」というものとはすでに無関係であるがゆえの安心感や安定感が好き。

しかし、どんなときでも人は「人の作り出したもの」を摂取したくなるものなのだなということを深く自覚しました。生命として生きるだけならばそれらは必要ではないけれど、それだけでは人は生きられないのかもしれない。

 

 

録画していた仰天ニュースの続きを見ました。赤木ファイルの話でした。

死んでしまうくらいなら、自分が警察に捕まる可能性があったとしても、何もかも道連にする覚悟で全て話してしまっても良かったのではないかとも思いますが、そんな簡単な話ではないのだろうな。

物凄く規模の小さな話になりますが、僕のバイト先の取引先の会社に対してですら、「明らかにおかしい」とみんなが分かっていても何もなされないことが多々あるので、様々なしがらみ、組織の中で、おかしいことをおかしいと相手に突きつけることって、本当に難しいことなのだと思います。

 

 

なんか今日すごい嫌な過ごし方しちゃった。

時間がないのって全部自分のせいなんですよね。決めた時間に起きられないと、もうその時点で一日の始まりが「失敗」からになってしまうんで、そのあといろんなことに集中しきれないです。

 

すっごいくだらない漫画だけどめちゃくちゃ落ち込みながら描いた。

これはまだ一回目の線画なので、何度も消して何度も直します。

 

うさぎ。

みかんが大量にあり、食べきれずどんどんしおれていくので、最近は焼いてから食べてます。焼き立てのみかんはぷくぷくになってかわいいんだ。