御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

換気扇大好き

お母さん、僕がだうして囘る換氣扇を見つめ續けるのか、貴女には分かりますか?其れは繰り返されるから、何處へも行かずに戾って來るから。僕は何處へも行きたくありません。唯其れ丈を、貴女も、生と時閒も、決して許して吳れはしないのでせう。

 

換気扇。

 

乾燥機。

 

鍋。

 

パモ。

 

 

2月、自分の誕生月なのにこんなこと言うのもなんですが、日数が少ないのでいつもと同じ日数で働いてもいつもより微妙に忙しく感じてしんどいので、早く次の月のシフトに移ってほしいです。なんで2月だけこんなに少ないんでしょうか。

31日ある月を一日ずつ減らしたらいいのに。

今月もやりたいことは色々あるのに疲労のせいか思ったように行動できていません。

 

 

よく「更正した不良よりずっと真面目に生きてきた人の方が偉い」という意見があるけど、「偉さ」ってどういうものなのか、考えていると分からなくなる。前者は変化の度合いが大きいので、よくそこから更生できたね、という偉さがあるし、後者はよく常に真面目でいられたねという人間性の安定感に対する偉さがある。前者は物語的な派手さがあるので着目されやすいけれど、他者の評価や、他者との比較に拘らず、自分なりの正しさを念頭に置いて生きている人は、皆偉いと思います。

過去、もしも過ちを犯していたとして、それはもう変えることはできないけれど、そこを心に置いた上で今現在を誠実に生きるのなら、その人の人生はそれで良いのではないかと思う。

難しい話だし、過去は一生ついてくるものですか、そこでヤケになって自分で自分を捨てては、仕方がない。過去に犯した罪を永遠に世間が許さないのであれば、罪を犯したものはすべて死ぬより他なくなってしまう気がします。

無関係な人間が、無関係な人間の罪を集団でなじる様子が見えてしまうのは、いつも少し怖いし、「この人たちは自分と関係無いことで、一度も会ったことの無い人のために、なぜここまで怒っているのだろう」という気持ちになります。「自分も同じような目にあったから許せない」という意見もよく聞きますが、自分が受けた被害と他人の受けた被害は別物だし、他人の出来事は自分の出来事とは別物で、自分は何も体験していないことです。心理としては僕も分かるのですが、冷静に考えると断片的に知った自身の体験していない他者の情報で怒りをあらわにして誰かを攻撃することの無責任さや身勝手さというものが、恐ろしいです。

自分が実際に見ることのできるもの、関わることができる人よりも、何倍もの情報が流れ込んでくるということは、救いになることもあれば、心を蝕むこともあるのだな、と感じます。

沢山のことを知ることが、良いこととは限らない、情報が溢れる世の中だから、得るものは自分で選択する力が何より大切なのかもしれません。