御岳山南天の劇的日常

地球での毎日。

影森おさんぽと容姿

影森の岩井堂に行ってきました。

影森駅。感動。

駅についた時点で自分も友人も極限の空腹状態だったのですが、あたりには何もなく食べ物を手に入れることはできませんでした。西武秩父駅でなにか食べるべきだった。

 

道中。

友人と「若干ねじ式を感じる風景だね」と主にねじ式の話と腹が減ったなという話をしながら歩ことに。

ネコは見ている。

なんか、やたら犬猫がいました。そんでみんなこっちを見てるんだ。

合計10匹以上の犬猫に会った。

 

円融寺を見てから、昭和電工の敷地を通してもらって山道へ。

さざれ石。

るろうに剣心の四乃森蒼紫が武田観柳との戦いの後になんか森の奥に入っていくじゃないですか、そんな感じの道がずっと続いてる。

このあと道をちょっと間違えてしまい、本来な石段を登るはずがものすごい獣道を歩くことになりました。滑落するかと思った。

もう腹が減りすぎていて、途中僕が「この神社全部お菓子ならいいな」「お供物にまんじゅうとかねえかな」「食える木の実落ちとらんか」「こういう苔みたいなケーキある」とひたすら食べ物のことばかり話していて余計お腹が空くという最悪の事態に。

 

ひたすら獣道を登ると、唐突に岩井堂が。

写真が上手くないので伝わらないかもしれませんがとにかく凄かった。

帰りはなんとか正規ルートに合流でき、300段ほどの石段を降りました。手すりがあるって素晴らしい。

幽遊白書の幻海がいる神社に続く階段を思い出しました。

そのまま一旦昭和電工まで戻り、護国観音を目指します。

山道をぐるっと回って行くこともできるらしいのですが、昭和電工の守衛さんから「道が滑るから護国観音に行くなら一回降りた方がいい」と言われたのでその通りにしました。

それでも思ったより遠いというか、結構登りが続くので、大変でした。

でかい。雀蜂の巣みたいなのついてました。

影森の街を見下ろせます。

ここで二人共降りるのが面倒になってきてしばらくぼんやりしてました。

自分は筋肉痛の最中でもあったのでまあまあ疲れたのですが、良い鍛錬になったし、ずっと来たかったところなので行けてよかった。どこもかしこも空気が良かった。

 

影森駅近くには本当に飲食店もコンビニもないので、飯能の「トラヤ」へ。

影森の人たちはどこでご飯買ってるんだろうね。飯能の駅につくとお店が沢山あって、街も電気で明るく、「都会じゃ」と山里から初めて降りてきた田舎者のように浮かれた。

影森はすごく良いところだけど、暗くなってくるとやっぱりちょっとずつ不安になってきます。山とか自然は好きなのですが、それと同時に「得体のしれぬ怖さ」があって、段々と「早く街に戻らなくちゃ」という気持ちになってくる。

 

トラヤはカレーがすごく美味しいんですよね。本当に空腹だったのでとんでもない速さでたいらげてシェイクも飲んだ。

一回火事で休業してたので、また行けて嬉しいです。

話してたらいつの間にか営業終了時間近くになっていて慌てて出たのですが、多分ここに帽子を忘れました。

一応明日電話してみます…。

何はともあれ楽しい一日でした。

秩父方面には良い場所が沢山あるので、行きたいところはちょっとずつ見ていきたいです。

 

一緒に行った友人のおだ坊は前に小手指を一緒に探検した際に「葉っぱが小さい」と訳のわからないことを頻りにいってきたのですが、今回も「やっぱり葉っぱが小さいんだよねえ…」と言っていました。

なんなの、葉っぱが小さいって。そんなの木の種類に依るじゃんね。

 

いつか木蓮寺にも行ってみたいんだけど、ここは駅名になってるわけでもなく、そんなに何かある土地でもないんですよね。

別に「木蓮寺」という寺があるわけでもない。でも知らない街を歩くこと自体楽しいし、影森と違ってコンビニとかもある普通の市街地なのでいつか行ってみたい。

 

影森は、そこ自体もそうなんだけど、そこに至るまでの西武秩父からの電車がもう、なんかちょっと「もう戻れないかも…?」と思わせてくるので、一人では不安で行けないです。

 

 

落書きした鳥坂先輩

 

 

なんか、自身を卑下してるとかではなく冷静に見て自分が何故他人から容姿を褒められることがあるのか純粋に理解できません。撮ってもらった写真とか見ると、普通に良くない方だと思うしそれは自分で理解できています。

なのに変に褒められるから現実との差異でわけが分からなくなる上に精神状態が悪いと「みんな嘘つきだ、影で馬鹿にしてる」と思ってしまう。褒めてくれた人はみんなそんな嫌なことしない人たちなので失礼だとは思うのですが、被害妄想が強いというかそんなことはないと分かっていても悪い方に考える癖があって思考が止められません。

馬鹿にしているとかではなく、自分が明らかに容姿を気にしているもんだから、周りの優しい人たちが褒めてくれているのかな?

 

思えば、小中学校のころは貶される事の方が多かったです。まあ小中学生なんてそんなもんなんだと思いますが、親にも昔「とんでもないブサイクではないけど決して整ってるとか美人とかそういう事はない」と言われたことがあるので、親にそう言わせるのだから本当にそうなのだと思う。

なんか、褒められた経験と否定された経験が同じくらいあるから、容姿に対して意味不明な感覚になっているのかな。

良い方でも悪い方でもどっちか一方の意見だけ言われてたらこんなにわけの分からない感じにはなっていなかった気がします。

 

証明写真とか自撮りは、パーツの加工等をしてなくてもそりゃ現実よりマシに写るので自分の本当の顔だとは思ってないんですけど、そういうのを軽率にネットに載せてしまっているので、実際会う機会があると「気づいて貰えないのでは…?」と毎回不安です(笑)

なら載せるなという話だし明らかに自分の首を締めているのですが、ネットの中だけでもまともな容姿でいたい。